【中学】自分がどうやってバイリンガルになれたか|アメリカ帰国子女

<景品表示法に基づく表記> 当サイトのコンテンツには、商品プロモーションが含まれている場合があります。

おうち英語

こんにちは、バイリンガル育児奮闘中の chiyo です!

前回、アメリカの帰国子女である私の幼少期について書きました。

生後2ヶ月でアメリカに行き、日本語も英語も喋れる状態で6歳の時に帰国。でも、日本で英語を使わずにいたら数年で完全に忘れました…チーン…(古い?笑)

その状態で中学一年の時にまたアメリカに行きます!

親戚などからは、「小さい頃に英語喋れたんだから、きっとあっち行ったらパッと思い出すわよ!」とか言われてましたけど、

ぶっちゃけそんな事は全っ然ありませんでした!!

何にもわからない状態から頑張って単語1つずつ一から学びましたよ。

chiyo
chiyo

最初はかーなーり大変でしたが、やっぱり前に住んでいたからか短期間でアメリカの生活に慣れて、すんごくすんごく楽しい中学時代を過ごせました!

今回はその中学時代について書こうと思います。

バイリンガル教育に興味のある方、これから海外へ引っ越されるママパパさんの参考になれば嬉しいです!

スポンサーリンク

渡米直後

  • 日本で中学入学後2ヶ月で2回目のアメリカ引っ越し。今回はNY州の隣にあるコネチカット州。英語全く覚えてないし全然喋れない状態でリスタート!
  • 初夏に引っ越して、学校が8月末から始まる前に外国生向けのサマースクールに数週間通う。若干学校っぽいところに通えてスクールライフに慣れられたけど、それで英語が上達するとかは特になかった
  • 現地の日本人に人気のあった英語塾に通い始める。日本人の奥さんとアメリカ人の夫が経営してる塾で、主に文章を書く練習だけど、英語初心者には超難しかった… 宿題は毎回1ページ分のエッセイを書かなくちゃいけなくて超大変!!でも、アメリカの学校ではエッセイの課題が多いので、この塾で書くのに慣れたから後々すごく役立ったと思う(母親曰く、この塾で最初に集中的に授業を受けたから、姉妹二人分ですごい額の小切手を書いて震えそうになったらしい、笑)
  • 現地のミドルスクールに7年生(中1)からスタート、ESL (English as a Second Language: 英語が外国語の生徒のための授業)と普通の授業半々くらい(ちなみに日本にいた間も英語教育がとぎれなかった姉はESLに入らずに最初から全部普通の授業でハイスクールスタートでした!)
  • 学校に行く時は和英・英和辞典必須!めっちゃ分厚いのいつも持ってました、笑
  • 同じミドルスクールで日本人の友達も3人くらい出来て(今思うと当時は日本人のあまり多くないエリアだったのかも)最初の頃は精神的にすごく助かった!その内一人とは日本でも同じ高校に通って今も親友!
  • 最初のうちは英語はわからないし宿題の量は多いし(基本全科目毎日宿題あり)で、毎日家に帰ってから寝るまで母親と辞書を引きながらめっちゃ頑張った… 二人とも全然わかんなくてギブアップしたプリントが、翌朝に父と姉で答えを書いて置いててくれてたこともあった
  • 毎日いっぱいいっぱいだったし、学校が終わる時間帯には毎日「今日の宿題こなせるのかな…?何時に寝れるんだろう…」って強烈な不安を感じてた
  • でも、今でもはっきり覚えてる大きなきっかけになった日。理科の授業でグループで実験をする時、課題もよくわかんないしグループの子が何を言ってるのかもよくわかんない…「でもこれってもう開き直って楽しむしかなくない?」って気付いた。不安でネガティブになっても現状が変わるワケじゃない。それならいっそ開き直って前向きになったらせめて少しでも楽しめるかもって思って、それからはもうずっとそれをほぼモットーに生きてます、笑
  • 英語が喋れないからって学校とかで差別とかを受けたことは一度も無かった。逆に親切にしてくれた子の印象が強い

慣れてから

  • 数ヶ月でESL beginner レベルを卒業して、intermediate/advancedレベルのクラスに
  • また数ヶ月でESLを完全に卒業して全部普通のクラスに入れた。結局ESLの授業は半年間くらい(今回調べてみたら、一般的には2〜3年でESL卒業できるといいらしいです)
  • 仲のいい友達はほぼみんなアメリカ人、日本人の親友とも基本英語で喋ってた
  • 慣れてからのミドルスクールはとにかくめちゃくちゃ楽しかった!!学校が楽しくて、毎週末には月曜日が待ち遠しかった
  • 宿題の量は多かったけど英語がわかるようになってからは一人で問題なくこなせるようになって(ママお疲れ様、笑)テストも特に勉強しないでも高得点、成績も良くて honor roll(成績優秀者名簿)に載るように(地元紙に成績の良い生徒の名前がリストアップされる)
  • 学校が終わってからは友達と電話したりチャットしたり(当時みんなAOLを使って家のパソコンでいっつもチャットしてた)、休みの日はお互いの家で集まったり映画を観に行ったりした
  • 当時はケーブルテレビとかはあったけど、日本の番組とかはやってなかったから、テレビの番組も全部英語のばっかり。特にMTVとVH1の音楽関係、あとHBOで映画とか観まくってた
  • 親とは変わらず日本語のみの会話だけど、それ以外では英語だけの生活でどっぷりアメリカ文化に染まっていた
  • この頃から自分もアメリカ人になったような感覚・願望のようなものを持つように。「アメリカ人じゃなくて日本人だから劣ってる」とか「なんで自分日本人なの?」って思ったりする事もあって、今思うとちょっとした identity crisis(アイデンティティクライシス)みたいなものだったのかも
  • 土曜日の補習校に通うようになって日本人の友達が増えたアメリカ人みたいな日本人の自分に葛藤を感じていたが、「日本人ぽさとアメリカ人ぽさ両方持ってていいんじゃない?」って友達が言ってくれて、すごく気が楽になった。「そうだ、どっちか1つじゃなくていいんだ!両方で私なんだ!!」って思えて、やっと自分をちゃんと認めてあげられるようになった

現地のハイスクール

  • ミドルスクール卒業後、現地のハイスクールに通い始める(親の日本帰国が決まったので通ったのは9年生の一年間のみ)
  • 現地のハイスクールはそのエリアのミドルスクール3校くらいからの生徒がみんな行く超大きな学校で、友達も増えて楽しかった
  • 日本人生徒の数が一気に増えたけど、みんな日本人同士で固まっていたので、私は共通点がなくて仲の良い日本人の子いなかった(ミドルスクールの日本人の親友は私よりも一年先に帰国)
  • 学校の成績は相変わらず全体的に良くて、テスト前とかも特に勉強する必要なし、honor roll 健在
  • 補習校で日本人の友達が増えたのとプチ identity crisis を乗り越えたから?日本での学生生活に興味があって、日本に帰国するのは結構楽しみだった
  • とはいえ、帰国した時は飛行機の中で超号泣…「 絶対絶対またアメリカに戻ってくる!!!」って誓った

まとめ

幼少期に続き、中学時代について書きました。

英語が全然喋れない状態で引っ越した当初は、正直すごく大変でした。

でも、その大変な状況の中、自分自身と大きな不安とちゃんと向き合うことで得たものはすごく大きかった

あの日は、私が今の私になった大きなきっかけになった特別な日です。きっとずっと忘れることはないと思います。

アメリカに行った当初、周りの人が言っていたように、英語の記憶がワッと蘇る的なことは無かったけど(笑)、英語の吸収が早くてESLを半年で卒業出来たのはきっとアメリカでの幼少期があったからだと思っています。

あと、英語の発音に日本人アクセントが無いのも絶対幼少期のお陰。

だから、小さい頃に英語をやっておくのはやっぱりすごく良いと思います!

子供が小さい時にママパパがおうち英語を頑張っても、子供や嫌がるようになって辞めちゃった…っていうことを聞きます。それは確かに残念ではありますが、それでもいずれ英語が必要になった時に入ってくるのが早いはず!

そう信じて、我が家でも毎日バイリンガル育児頑張ってます、汗

次回は日本に帰国して高校に9月編入してからについて書こうと思います。それでは!

コメント

  1. […] […]

タイトルとURLをコピーしました